米原駅から東に進むと、霊仙山の麓に「上丹生」という集落があり古くから『木彫の里』として知られています。
集落の中を美しい丹生川が流れ、その川に架けられた多くの橋と、川の両岸に軒を連ねる住宅兼工房が独自の景観を作っています。
上丹生はこの美観の中、連綿と受け継がれた木彫の伝統が今に伝わる稀有な地域です。
この地域は山の谷間にあることから耕作地が少なく、古より林業を中心とした生活が営まれてきました。 そんな中、江戸時代後期に宮大工の子であった上田勇助と同郷の川口七衛門が京都に修行に行き、この地に木彫刻をもたらしたのが上丹生彫刻の起源です。
上丹生彫刻は当初、社寺彫刻を主に欄間や手挟み等が制作され発展してきました。戦後1ドル360円の時代には、輸出用の焼杉彫刻が盛んに行なわれ、また高度成長期には仏壇の産地である彦根・長浜に近かったこともあり、仏壇彫刻は最 盛期を迎えました。これにより上丹生には、木彫師をはじめ木地師、塗り師、金物師など様々な職人が集まり、仏壇彫刻が村の一大産業として成長しました。
現代においては、社寺の彫刻、木鼻、虹梁の彫りなどの建築彫刻、祭りの山車・地車(だんじり)の彫刻、 欄間や表札等の住宅装飾など幅広い制作が日々行われ、最近では、伝統にとらわれない新しい試みも盛んで、上丹生木彫の可能性はますます広がっています。